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ふざけた青空だった。
気温は30度を超え、アパートに引っ越してきたばかりで、疲労がたまる俺に追い討ちを掛けるような暑さだ。 冷蔵庫からパックの柑橘系ジュースを取り出し、そのまま口のみする。 飲料水の波頭が口の中に広がり、俺の味覚を満たしていく。 瞬間、電撃が走ったような食感。次に訪れたのは、凄まじい吐き気。 柑橘系ジュースの賞味期限を良く見ると、一ヶ月前。なるほど、やれやれだ。 などと考えている内に、俺の顔色はこのふざけた晴天の青空よりも、不気味な青色となっていく。 急いで台所へ行き、口の中の飲み物を吐き出す。 口の中を水道水で濯ぐ。つくづく俺は運の無い男だ。 もはや、この暑さで何をする気も起きなくなった。1時間後に喫茶店のバイトが入っているが、まるで行く気にはなれない。 「喫茶店でお洒落決めてる俺かっこいい」みたいなナルシスト男の対応に、俺は参っている。 あいつらは総じてメニューをじっくり見るフリをして、如何に通が頼みそうなコーヒーを探すのに必死なのだ。 本当に美味いコーヒーが飲みたいなら、コーヒー豆原産国に行く事だ。腐るほど美味いコーヒーが飲める。 そんな俺は、コーヒー好きが高じて、喫茶店バイトを始める事にした。 大学の学費を少しでも自分で負担したい、そんな些細な良心だったはずだったんだが。 それはさておき、毎日飲む程度にはコーヒーが好きな俺は、ただその一点だけしか見つめていなかった。 只でエメラルドマウンテンを裏で飲めるのだろうか、などと淡い期待をしていたが、現実は厳しい。 一緒にバイトしている、一個下の女の子だけが俺の支えだ。 今時おしとやかで大人しい性格なのだが、ショートカットなのが惜しいね。まあ後何年か待てば良い感じの黒髪ロングになってくれるのかな。 そんな妄想に浸りながら、アパートの壁に背を預けていると、壁越しに凄まじく歪んだ音が響いてきた。 あまりにも突然だったので、思わず飛び上がりそうになったが、何とかそんな奇行を取らずに済んだ。 一体その雑音が何なのか、気になって壁に耳を当ててみる。 変に歪んだ音。スピーカーか何かから発せられているらしい。 正体は・・・なるほど、エレキギターか。 正体が分かった所で、迷惑な事には変わりない。一体何を考えているのだろう。 不動産屋に案内された時の検証で、壁が薄いのは既に分かっていたが、これでは本当に板一枚なのではないだろうか。 しかも弾いている曲はディープ・パープルのSPEED KINGか。悔しいが旨い。楽器弾いたことないけどさ。 何にせよ、バイトまで残り1時間の時間くらい、静かに過ごさせてほしい物だ。 流れるメロディーの隙を見計らって、俺は抗議の声を上げる事にした。 「あの、ちょっと静かにしてもらえませんか?」 音量は大きめで、且つ相手に不快を与えない程度の声の張り。これで逆キレされる世の中じゃ、俺は生きるのが億劫になると思う。 だが、俺の声は相手に届く前にSPEED KINGのBメロ部分にかき消され、意味を成さなかった。 暑さと騒音の双方が、俺の精神力を面白い具合に削っていく。笑えるか、畜生。 琵琶湖並みの心の広さがある俺でも、流石に耐え兼ねない。 俺は、相手に少しでも嫌悪感を与える行為を嫌う。何故なら、それが上手く生きる術であると知っているからだ。 摩擦が起きれば火が起こる。火が起きれば火事になる。人の揉め合いに、消防士は立ち入れない。 極力、そんな摩擦を避けたいと思う俺だが、もはや摩擦を起こして火を吹き上げさせようとしてるのは向こう側だ。 ならば、俺には反抗する権利くらいはあると思うのだ。 だからもう一度、今度は大きな声で怒鳴ってみた。 「あの、すいませんが!五月蝿いので静かにしていただけませんか!?」 壁に口を押し付ける勢いで、俺は全身全霊で声を発した。心なしか、日常生活のストレスが抜けた気がする。 ようやく、俺の想いと言葉が伝わったのか、エレキギターによるSPEED KINGの演奏は終焉を迎えた。 沈黙。 壁の向こうからの音が途絶えた。やってきた静寂に、何故か真夏なのに寒気を感じたのは何故だろうか。 俺はてっきり、パンクな髪型をしたお兄さんが、エレキギターで壁を叩いてくるのかと予想していた。 だが、俺の抗議の声を発した瞬間から、あちら側の部屋からの音沙汰は一切無し。 怒らせてしまったのだろうか。ここで小心者な俺の性格が、表情となって現れ始める。 「なあ、あんたロックは好きかい」 突然、声が壁を通して聞こえてきた。俺は一瞬、何を聞かれているのかを理解できなかった。 その声は、女性のものだった。声から雰囲気を感じ取れるくらい、俺はきっと彼女は姉さん系なんだと思った。 声は何故か少し、震えていた。それを無理に隠そうとする軽快さを感じ、俺は気が付かないふりをした。 しかし、まさかSPEED KINGを弾く女性が居るとはね。俺は突然、彼女に興味を持った。その意外さが、きっと俺をそうさせたのだろう。 受け答えする為に、焦りながらも壁に身を寄せて答える。 「あ、えっと、まあまあ好きですよ」 無難な回答をする。相手を触発しないように選び出した言葉がこれなのだから、俺はつくづく駄目な男だと思う。 「今の曲、何だか分かる?」 「SPEED KINGですね。ディープパープルの」 俺の回答を聞いた途端、彼女の声はより一層力強くなった。 「好きなんだ。ロック」 「まあまあ、ですよ?」 「でも好きだ」 「・・・まあ、はい」 「やっぱり」 やっぱり、というか、答えを強要されたような気がするのだが、それはおいて置こう。 事実、俺は高校までライブハウスでスタッフをしていたくらいには、音楽に精通している。 一枚のロックバンドのCDから、ライブハウスのスタッフへ。俺の道筋は、平坦を無理にこじ曲げている。 大抵は、ロックに興味を持てば楽器を始めるし、それだけでは物足りなくなって、バンドを組み始める。 俺の場合、バンドもやらなかったし、楽器を弄る事も無かった。 ただ、知識だけは豊富で、そいつを生かしてスッタフとして彼らのサポートをする事を選んだのだ。 若者が夢を語り、音で振りまき、そして静かに限界を感じて辞めて行く。 ライブハウスで、そんな光景をいくつも見てきた。だからきっと、そうはなりたくなかったのかもしれない。 「それで、どうだった?」 彼女は投げかけてくる。何が?と聞き返す前に、彼女は言葉を発した。 「あたしの演奏」 「ああ」 どう、と聞かれても、どう答えれば良いのだろう。 単純な感想ではつまらない。かと言って、専門的に答えられる訳でもない。 誰かの借り物の言葉を、頭の中で必死に探している自分に気が付いて、少し落ち込んだ。 俺はいつも誰かの言葉を飾りにして生きてきてしまった。それが偉い事なのだと勘違いしていた。 自分がしている事が信じられなくなり、多勢の意見に飲まれる。 だからライブハウスのスタッフとして、若者たちの音楽を支える事がくだらなく感じてしまい、結局辞めてしまった。 こんな時くらい、素直な感想を述べるべきだ。暑さが体をなで回す中、俺はそう思った。 「もう一度、今度はライブハウスで聴いて見たいですね」 「そう」 彼女は一言、そう呟いた。 何を求めていたのかは分からない。ただ、感想が欲しかっただけなのかもしれないけれど、そうじゃない気がした。 けれど、俺にはこれが精一杯の回答で、これ以上の言葉を紡ぐ事は不可能だった。 「好きに生きることって、楽しいけど大変さね」 軽快さで隠していた、震える声が少しずつ露になっていく。 「そうですね」 「だから、唐突にやりたくなる事も、出来なかったりする」 「唐突にやりたくなるって、さっきの演奏の事ですね」 「そ。だから、今回は見逃して。ロックに免じて」 なるほど。知らない他人に、見えない他人に、自分をぶつける事は簡単だ。 それが間接的だったとしても、それは簡単なことだ。 理由は分からないけど、彼女はきっと、悲しんでいるのだ。 挫折に。世の中の不条理に。頭で分かっていても、そう思ってしまう自分に。 勝手に、俺はそう思った。向こうの事情なんて、一切知らない。 だけど、俺はそう思った。 「見逃しますけど、次は簡便してくださいね。俺引っ越してきたばかりなんですから」 「知ってる。だからちょっと悪戯したかっただけだよ、お隣さん」 やれやれ、困った姉さんだな。 時計を見ると、もうそろそろバイトの時間が迫っていた。 俺は壁から立ち上がり、バイトに向かう事にした。 「何か、ありがとう」 その言葉を背に受けた俺は、アパートのドアを開けて、早足でバイト先の喫茶店へ向かった。 彼女の静かな泣き声を、聞かないように。 # by bybyminnna | 2009-04-05 23:43
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